巨人にドラフト1位で入団すると、闘争心あふれる投球で人気を集めた入来祐作さん(40)米大リーグ・メッツと契約して米国にも渡ったが、2008年に現役を退き現在は横浜DeNAで2軍の用具係を務める華麗なキャリアをひきずることなく、精力的に持ち場で汗を流す原動力とは(聞き手・笹森倫)
--夢を追った米国では1度もメジャーのマウンドに立てなかった
「米国で野球人生を全うできればいいな、という思いだったが、2年間全く歯が立たなかった野球とベースボールは違うスポーツと思うくらい同じ場所にゴールがあっても、プレーする方向というか角度というか、アプローチがまるで違う日本は『形をしっかり』でフォームもみんな同じ米国はボールを捕る、投げるから動き方が個性に満ちている」
--衝撃は大きかった
「自分の生活の中で当然だったことができない日本式を貫けばよかったかもしれないけど、やり通せなかった通訳もいなくて、監督やコーチとどう対応するべきかも話し合えなかった」
--07年に日本復帰
「野球をまだやりたいという思いはあったが、代理人は『米国ではもうない』とでも最後の年はいざユニホームを着ても、どうしても心に燃えるものがなかった」
--引退後は
「何をやっていいかわからない状態でも野球の世界を離れることは考えなかった兄(智さん、元巨人など04年引退)も最初はコンビニでバイト(現在は宮崎県内で弁当店に勤務)するなど、大変な姿をみているのでまったく違う畑に行ったら、自分の人生はすべてなくなる」
--用具係3年目選手時代から生活の変化は
「朝は早いですねデーゲームで午前9時に練習開始なら、7時には球場に入らないと選手のときはあまり考えなかったが、裏方がいろんな持ち場にいてプロ野球が成り立っている自分の与えられた場所で、選手とは違う形で貢献したい」
--過去を引きずり次の人生に踏み出せない人も多い
「プライドを捨てきれない気持ちは、自分もよくわかりますでもプライドを保ちながら食えるか野球をしている間は大事にしてくれるが、ユニホームを脱いだら、一部を除いてみんな一緒ですから気の毒とか、何やってんだとか、人にどう思われようが、僕自身はそう思ってない今はこれしかない生きがいをどこに、何に設定するか自分は人生でずっと野球をやってきた携わる仕事で、そこだけは捨てきれない」
■入来祐作(いりき・ゆうさく) 1972年8月13日、宮崎県都城市生まれ、40歳大阪・PL学園高、亜大、本田技研を経て、即戦力右腕として96年ドラフトで巨人に1位指名され入団99年には実兄・智が近鉄から巨人に移籍し、球団史上初の現役兄弟選手に2001年はチーム勝ち頭の13勝を挙げ、オールスターで兄弟リレーも実現した03年オフに交換トレードで日本ハムに移籍05年オフにメッツ、07年はブルージェイズとマイナー契約したがメジャー登板はなし08年は横浜(現DeNA)でプレー同オフに戦力外となり、打撃投手から現職通算35勝35敗3セーブ、防御率3.77(聞き手・笹森倫)
--夢を追った米国では1度もメジャーのマウンドに立てなかった
「米国で野球人生を全うできればいいな、という思いだったが、2年間全く歯が立たなかった
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