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京都市北区の柏野小が、「インド洋の真珠」とも呼ばれる島国、セーシェル

京都市北区の柏野小が、「インド洋の真珠」とも呼ばれる島国、セーシェル共和国と交流を始めた以前に、京都市内の別の小学校が交流していたことがあり、当時を知る柏野小校長らが「豊かな自然とそれらを守る環境保護について学びたい」と今夏、同国を訪問して交流の再開を約束した
 同国との交流は、親善団体「日本セイシェル協会」(理事長・渡辺武達同志社大教授)の仲介で、山科区の小学校が長年、絵画交換や相互訪問を行ってきたが、教員の交代などによって途絶えていた
 交流に関わっていた柏野小の塩見考次校長が、フタゴヤシの原生林やゾウガメの生息地など、世界遺産にも登録されている貴重な自然、国土の4割を自然保護地区としている環境対策などを児童に知ってもらいたいと、学習に取り入れることにした
 総合学習などでセーシェルの暮らしや自然、産業について学習した児童たちは、クラスごとに手紙を作成塩見校長や同小教諭が、8月中旬に現地を訪れた親善訪問団に参加し、手紙と書道作品を現地の小学校に渡したその際、絵画の交換やテレビ会議システムを使った交流を約束したという
 同小の廊下に、現地の子どもが作った廃材を活用した写真立てや美しい鳥が載った本、サンゴの実物を集めたコーナーも設置休み時間に児童が訪れ、「海が青くてきれい」「日本にいない鳥や木がある」と話しながら見入っている
 セーシェル外務省の役人が10月に同小で講演を行う計画もあり、塩見校長は「世界に視野を広げ、自然と共生している人々の暮らしを知ることで、自分たちの暮らしや日本の社会について考えてほしい」と交流に期待を寄せている昭和20年8月15日作家への道を意識した最初の瞬間は、日本が終戦を迎えた日だった

 当時12歳目にしたのは、空襲で無残に焼き払われた故郷の姿だった自宅近くの小川には、空襲から逃げようと飛び込んだ人たちの死体があふれていたよく知った顔もその中に何人もいた

 生まれ育った埼玉県熊谷市は、太平洋戦争で最後の空襲があった町だ14日夜、寝ていたところを父親に起こされて、家族で逃げ出したいったんは近くの小川に逃げたが、父親の判断でさらに遠くに逃げることにそれが、運命の分かれ道だった「あの時、逃げていなかったら、自分も川で死んでいた人と同じように死んでいたんだな、と思う」

 敗戦を機に、社会は大きく変化した自身にとって大きかったのは、好きな本を自由に読めることだった青山学院大学に進学後、クラスで同人誌を作るなど創作活動を始め、将来は作家になりたいと漠然と思うようになった

 ■就職活動に失敗

 作家としての大きな財産となったのが、大学卒業後に経験したホテルマンの仕事だしかし、「ホテルマンとしての生活は半分死んでいるようなものだった」というマスコミなどの就職活動に失敗し、大学の紹介でやっと入った大阪のホテル組織の一員として生きる日々は窮屈だった

 しかし、仕事には面白みを感じることもあった毎日、多くの客が訪れるホテルは「人間観察の宝庫だった」からだ利用者の目的はさまざまだ食事、冠婚葬祭、商談、密談…訪れる人も、老若男女、一般の利用客から、政治家、宗教家、教師と多様だ

 森村さんは、フロントの担当として多くの人と接する機会を得た「ホテルでは普段の表の顔じゃない、裏の顔が見られるその人たちを下から見上げるからよく分かる客はホテルマンをサービスの機械だと思っているから、無防備24時間観察できたそういう職場はない」

 作家への思いを強くしたのが、東京の都市センターホテル勤務時代だった目の前に文芸春秋の社屋ができ、阿川弘之氏、黒岩重吾氏、笹沢左保氏ら当時の流行作家がホテルを訪れた

 定宿にしていた梶山季之氏が編集者に渡すためにフロントに預けた原稿を読んだ続きを自分で考え、梶山氏の原稿と比べるようになった「競作次第に3本に1本くらいは自分の方が面白いと思えるようになった」

 ■“蓄積”が必要

 ホテルマンの傍ら、知り合いの紹介で、サラリーマン生活に関するエッセーなどを書き始めたころには、同世代の作家の活躍に焦りも感じていたそんな折、上司の一言が心に突き刺さった

 「君が主流になりたいのなら、副業は辞めたほうがいい」

 当時勤めていたホテルは副業が禁止されていた上司の言葉は、ホテルマンとしての主流を目指せ、という意図だったが、その瞬間に悟った「ぼくの意識の中では、作家が主流で、ホテルが副業だった作家を副業にしてはいけないんだと」

 迷いはなかった安定した生活を捨てることになるが、自分の中では限界が来ていたからだ34歳で、9年間のホテルマン生活に別れを告げた

 そして2年後の昭和44年、ホテルを舞台としたミステリー「高層の死角」で、推理作家の登竜門として知られる第15回江戸川乱歩賞を受賞以後、人気作家の道を歩むことになった

 「作家には蓄積が重要自分の中に燃料がないと小説は書けないホテルマンの経験がなかったら、ストーリー中心の軽い小説を書いていたかもしれない80代は人生の決算期として、過去の作品の整理に取り組みたい」というしかし、創作のための、“燃料補給”にも余念はない近年は、愛用のカメラを片手に町を歩き、俳句を詠む

 「燃料はまだある絶えず補給しているからね」

 --角川春樹事務所社長の角川春樹さん(70)が、平成5年、麻薬取締法違反などの容疑で逮捕された時には、メディアで擁護論を展開しました

 「彼とは戦友です友人っていうのは、ぼくの意識の中では楽しいことを分け合う同じように苦しい時もつらい時も分け合うって意識があるんですよ」

 --擁護論を展開したのはなぜですか

 「あの時彼は四面楚歌(そか)でした一番厳しい時に何か助けてやれないかと思ったでも、ぼくが街頭演説するわけにはいかないでしょうそのかわり、いろんな媒体にスペースをもらって、擁護論が書けた作家で良かったと思いました」

 --春樹さんは、当時、何と言っていましたか

 「もう、出てきたら明るくて、そんな話はしませんでしたねただ、ぼくの擁護論のおかげで拘置所の待遇が良くなったとは言っていました」

■〈もりむら・せいいち〉…昭和8年、埼玉県生まれ青山学院大学卒業後、ホテルマンとして9年余り勤務した後、作家活動に入る44年に、「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞した「腐蝕の構造」「人間の証明」など数々のベストセラーを刊行した推理小説のほか、時代小説から山岳小説まで多彩なジャンルを手がける平成23年には「悪道」で、吉川英治文学賞を受賞する近年は、日常の写真に俳句をつける「写真俳句」にも取り組むなど、精力的に活動している
 交流に関わっていた柏野小の塩見考次校長が、フタゴヤシの原生林やゾウガメの生息地など、世界遺産にも登録されている貴重な自然、国土の4割を自然保護地区としている環境対策などを児童に知ってもらいたいと、学習に取り入れることにした
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